「言葉があって初めて概念が生まれる」
フェルディナン・ド・ソシュールの言葉だそうな。
毎週HDDに録画している番組(半数はNHKだったりするんです)のひとつに「爆笑問題のニッポンの教養」があります。
先週の放送で、一橋の言語学の方がご出演。
言葉を創って概念を創る。ということも出来るんではないか。
すごいよなぁ・・・と、しみじみ思うのでありまして。
さて。
ウチはトランスセクシャルではない。ジェンダーロール(性役割)やジェンダーそのものに対してトランスしちゃって悩んだりしたり、そうじゃないと言い聞かせたり、MTFかと疑ってみたり、おネェさんになりたいのかと疑ってみたり、このふたつではないなぁって思ったりして。
特定の「属性」に憧れを抱くとすれば、「生活」であると思う。
もちろん男性にも憧れる方もいらっしゃり(そんなにそんななんだけど)、多くの女性にも憧れを抱く。
抱くけど、同世代のファッションには興味ないしなぁ、とか。思うんです。
その憧れが強くなっている一方で、ジェンダー論に雁字搦めになっているウチの思考があって、頭の中では憧れを抱く改革派(本能?)とジェンダー守旧派(理性?)とが取っ組み合いになって、その合間を悩みながらこの何年か生きてます。
男性とか女性とかではない、中性でありたいと思うのは、合間に居続けることによる葛藤から逃れたいというのも理由のひとつで、それでも中性でいるんだという自身への自信が生まれるまでは惑いながら葛藤とか悩みとかと向き合うんだろうなって思い、それで別に構わないとも思っている。
だからこそ!
「なりそこないトランスジェンダー」は、子供の時の家庭とは違った、言葉ではあらわしにくいけど、凛とした、お知り合いのブロガーさんとこ(FさんとかHさんとか)とか、親戚のみきちゃんとこのような、そんな環境を築きたい。と思っているんです。
フェルディナン・ド・ソシュールの言葉だそうな。
毎週HDDに録画している番組(半数はNHKだったりするんです)のひとつに「爆笑問題のニッポンの教養」があります。
先週の放送で、一橋の言語学の方がご出演。
言葉を創って概念を創る。ということも出来るんではないか。
すごいよなぁ・・・と、しみじみ思うのでありまして。
さて。
ウチはトランスセクシャルではない。ジェンダーロール(性役割)やジェンダーそのものに対してトランスしちゃって悩んだりしたり、そうじゃないと言い聞かせたり、MTFかと疑ってみたり、おネェさんになりたいのかと疑ってみたり、このふたつではないなぁって思ったりして。
特定の「属性」に憧れを抱くとすれば、「生活」であると思う。
もちろん男性にも憧れる方もいらっしゃり(そんなにそんななんだけど)、多くの女性にも憧れを抱く。
抱くけど、同世代のファッションには興味ないしなぁ、とか。思うんです。
その憧れが強くなっている一方で、ジェンダー論に雁字搦めになっているウチの思考があって、頭の中では憧れを抱く改革派(本能?)とジェンダー守旧派(理性?)とが取っ組み合いになって、その合間を悩みながらこの何年か生きてます。
男性とか女性とかではない、中性でありたいと思うのは、合間に居続けることによる葛藤から逃れたいというのも理由のひとつで、それでも中性でいるんだという自身への自信が生まれるまでは惑いながら葛藤とか悩みとかと向き合うんだろうなって思い、それで別に構わないとも思っている。
だからこそ!
「なりそこないトランスジェンダー」は、子供の時の家庭とは違った、言葉ではあらわしにくいけど、凛とした、お知り合いのブロガーさんとこ(FさんとかHさんとか)とか、親戚のみきちゃんとこのような、そんな環境を築きたい。と思っているんです。
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