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高校からのサッカー仲間でいつものようにフットサルコートでじゃれあい、ファミレスで近況を語り合う。ウチらはいつまで経っても変わらない(成長してない、とも言う。笑)
7人しか集まらず、3×4はつらいなぁっていうのと、サッカーコートは広すぎてムリ!と、年寄りじみた感想が相次いだのがおかしかった。
で、それなりに体型キープを気にしだしている、オヤジにだんだん近づいているのをまじまじと感じたのです。

余談1
奈良に向かう前。コートのような上着が洗濯して乾いてなかったので、押入に眠ってた「母が『安かったから弟に買ってあげた』のにお気に召されなかった(よくあるんです)」という、赤っぽいごわごわのコートを着ることに。とっさの判断で。
防腐剤の臭いがきつくてリセッシュをシュッシュする。いそいでいるのに。
赤いごわごわももしかしたら捨てられる運命だったかもしれなくて、捨てられなくて良かった(完璧忘れられてた存在だったし)。
思いのほか似合っていたらしかったが、悲しいかな、お世辞に慣れてないのよ・・・。

余談2
いつものメンバーのなかに、何年ぶりかに見たタニさん(仮名)は高校の頃からオサレさんでいらして、この日も健在で。南船場に住んでて、イメージにぴったりだなぁってしみじみ思った(会社が家賃の何割かを出してるからなんとかなってるらしいが。)住めるなら大阪市内に住みたいなぁ、などと思い馳せたりもしたのでした。

余談3
今回のメンバーで社会人1年目が半分で、でもこの春になっても就職が決まってないのは府警を目指す子とウチの2人だけになるみたい。
その2人が大阪府民で、愛知県民くんが府警志望の子の住む久宝寺口まで車で送ってくれた(ウチは久宝寺口から電車だけど)。
フリーターとしてバイト生活の2人もそれぞれビジョンがあり、愛知の子もハケンのビジョンがあり、とりとめもなく話が繰り広げられたのでした。

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2008.01.27 Sun l 中性的男子ができるまで l COM(1) TB(0) l top ▲
いいクルーと仕事をすると気が和らぎます。上り列車でご一緒したクルーのマネージャーさん、憧れます。姐(ねえ)さんってカンジで。素敵すぎます。

クウネルの発売がきょうだと踏んで、仕事終わりに地下鉄で肥後橋へゆき、そこから歩いて歩いていくつかのお店を寄り道してから、なんばのジュンクへ向かいました。
やっぱり。新しいクウネルはあって、そのとなりに置いてあった新しめのアルネの表紙の、直島と高橋みどりの文字を見過ごすわけには行かず、アルネも買いました。
アルネは別冊は持ってるけど、雑誌自体は初めて買ったと思う。
ただ、この本屋にはあるだろうと思っていた、もうひとつのお目当てが置いてなかったのが残念。

肥後橋から四つ橋筋を軸にしてのらりくらりと1時間半ほど歩いて。四つ橋は通っても靫公園は意外に初めてだったり、ショールームや生地屋さんに行ったり、いろいろ刺激された散策でした(コートが厚くてむしろ暑いです)。

2008.01.19 Sat l 中性的男子ができるまで l COM(1) TB(0) l top ▲


ナレーター『asamiの半分はやらしさでできてます。』

・・・こんなこと現実では言えないです。苦笑
ですので、ネットでは大目に見てやってください。

ところで、あなたの半分は何でできてるんだろう?
2008.01.19 Sat l 中性的男子ができるまで l COM(1) TB(0) l top ▲
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2008.01.19 Sat l 中性的男子ができるまで l COM(1) TB(0) l top ▲
去年、BBCが期待の新人と評し、彗星のごとく現れたMika。
イギリスであまりにラジオで流れすぎて嫌気をさされる程ヒットしたのがGrace Kellyという曲。

サビの手前の歌詞が強烈な印象を与えてしまう。

“僕はグレース・ケリーにみたいなりたいけど彼女は悲しそうにみえた。そこでフレディになろうとしたら僕はめちゃくちゃになったよ”
(細部が適当な和訳です。輸入版のアルバムには和訳が載ってないもので・・・)

歌の主人公は名女優・グレース・ケリーみたいになろうとする夢を持つも、周囲が白い目で見られ、歌手のフレディ(・マーキュリーのこと?)みたくなろうとして、自分がなんだか分からなくなった。と、いうことかもしれない(し、もっと別な意味があるのだろう)。
歌詞のストーリーを知った最初の感想は、MTF(Male to Female)がムリそうで、ゲイになってしまった、そんなことあるのかなと思った。
MTFやFTMは自身の性に関することで、ゲイやビアン・バイセクシャルは対人に関することだと認識している。テーマが対内と対外で食い違ってるじゃない、と理論っぽく考えた。

asami「たしかに最初はそう思っていたんです。でも、気が付いたらウチがまったく同じ道を歩んでいていたなんて驚きました。(!!!)」
【これは経験者の感想です。実際には個人差があります。笑】

服装とか、外見を意識しだして異性装をしてみたりすると、どうしても他人の目が気になって仕方無い。誰を好きになるか、クロセットでいれたら他人は気が付かないかもしれないけど、果たしてクロセットのままは・・・。

グレース・ケリーになりかけてフレディになっちゃったか・・・。なんならいまも混沌とした状況がくすぶりつづけているしなぁ。

酔った勢いであらぬ事を想像して果てて眠りに落ちたとしても、残るは「なにやってんだか」という後味悪く焦燥感のあるものだしね。まぁ、幼い頃からアブノーマルだったし、そうじゃなかったらアキさんにゲイだと意地になって認めなかったかもしれないし。(腐男子だってことはまだ言ってないけど)

ほんとうはヤラシイことには触れないようにしたいけど(ドン引き間違いなしv)、マトモじゃなかったからMTFに悩み過ぎなくて済んだのも事実で・・・。

どう転ぶかは自分でも分からないなぁ。そうおもうのです。

ところで。
Mikaはセクシャリティに関する―つまりはゲイか否かの―質問が多すぎて、相当嫌がっているけど、ああいう歌詞を書いたらそりゃ訊かれて仕方ないよ。笑
2008.01.19 Sat l 中性的男子ができるまで l COM(0) TB(0) l top ▲
ひとはデジタル家電が無くても生きてゆけたりする。

地デジ対応薄型大画面液晶テレビも所詮、雑貨なのだ。(極論ですよ、もちろんのこと)

雑貨って、それぞれが考える意味合いが曖昧なので、そのまわりの言葉で振り返ると・・・

[手芸]
身近な存在として手芸があって。母が編んだり縫ったりするのが好きで、ステンシルにはまった時期もあった。
服や手提げかばんをつくって、いまでもこたつの掛け布団のカバーは残っている(ちっとも使ってないから形見として??笑)。

さっき、「しゅこうげい」を変換したら、趣向ゲイと一発表示した(笑うしかないよ・・)。ウチの素性がバレたのか?

[雑貨屋]
意識するようになったのは2年半ほど前だろうか?カメラを買いに行ったのがきっかけ。いまは離別した父が旧いペンタックスのカメラを持ってて、カメラ自体に惹かれるようになって。
雑誌かなんかでトイカメラを知り、面白そうなのでどれかひとつ・・・と選んだのがレンズの4つ付いたバビロンという代物。他のトイカメラに比べて値段は張るけど、撮影パターンがバリエーションがあったので、これになったという次第。
そのバビロンを買う為に雑貨屋に行ったのが、ウチの雑貨屋との出会いだった。

[食器]
柳宗理を知ったのは本屋だった。父が民藝運動で高名な柳宗悦っていうのはあとで知った。
柳デザインを代表するとすればバタフライスツールとかなのかな?食器で言えばミルクパンとか?
アルネで、大橋歩が柳デザインの食器を実際に使用しているからと、1冊の本にしてて。
雑貨屋で柳デザインの食器類があって、実物と初めての出会って、マットとかカトラリーとかちっとも知らなかったけど、以後ゆっくりと、写真をみては実物を手にしては食器や調理機に親しみを抱くようになって。
それが[暮らし]というものを意識するきっかけだったのです。

[暮らす]
2~3年前は―引っ越す前で奈良にいたのだけど―朝早くにバイトをして、学校に行き、帰る道すがらにバイトをして帰ってくる。そんな感じで、学校がない日は昼間に自宅にいて。
今は亡き雑種犬(10年間、ずっとパンが好き)とふたりきりで。
ブログ仲間の影響で家事"もどき"をしてみたり、自転車で奈良公園やならまちに行ったり。まったりとした日々を噛みしめたのです。
振り返れば、このときがウチにとって貴重な財産となり、方向性を決めたのです。

[雑貨屋・2006]
カメラを買った次の年。本格的に雑貨屋や家具屋、インテリアショップに足を運ぶようになった。バイトで東京に行くようになり、船橋のイケアや表参道や新宿に行ったり、京都や大阪にも足を運び。
とにかく吸収するだけで、思想とか、なにかに還元されるようになるには時間がかかったのでした。

[居心地の悪さ]
しかし、居心地の悪さを自覚することがあって。
最初はお店にはいること自体に勇気を振り絞ったりして。
慣れた頃に店内の客層をみると、ウチなんてのは明らかに浮いている。本屋の雑誌売場もしかり。
まわりの目を意識しだすと、ダメになって。いけないことなんだろうかと思ったりしてね。
この前、久々にそんな気分になったのがあって。パスタ屋のチェーン店に行ったとき、カップル客を除けば男はウチだけで。男子が客より従業員の方が多かって。そわそわしっぱなしでした。

[まとめ]
・・・まとめきれない。嘆

とりあえず、次回につづく。
2008.01.12 Sat l 中性的男子ができるまで l COM(5) TB(0) l top ▲
20080108010921
おめでとうございます。

土曜日に伊勢神宮へ参りまして、なんだかおめでたい気分になりました。

日曜は職場の仕事明けにKくんと夕飯を食べに行きました。

何気ない毎日を、ゆっくり歩いてゆく。。。
去年は焦りが視界を曇らせてました。が。
いまは良好。めざすものはたいそれたものじゃない。ささやかな幸せなのです。
3年ほど前に抱いた夢を思い出せて、よかった。

なお、新年のご挨拶にあたり、当のasamiが顔出しNGと言ってきかないので、『抜け殻』が出演しております。あしからず。
2008.01.08 Tue l 思うツボ l COM(3) TB(0) l top ▲
2008年になったのよね?12月34日じゃなくって?1月3日なの?
年男、もれなく厄年、に、なったのよね・・・?

なんかそんな気じゃないです。凹

久しぶりに過去を振り返ります。

幼少期に何にも思わなかったのに、18になって興味や憧れの対象が生まれ。くらしとか、生活とか、Lifeとかいうのだろうか。親戚のおばちゃんやそこの家庭に憧れを抱き。その当時のブログ仲間のとことか、職場の女性たちにも、尊敬とか憧れの感情を抱くようになっていた。
共通するのがどのコミューンもウチより年上な方ばかりで、ひとまわりもふたまわりも離れてたりしたりして。ただでさえ親戚のみきちゃんがウチの親と同世代なんだし、違和感はなかった。さらにどちらも男子が少ないわりにはウチと同世代が多かったりして。

似たような環境で、いろんなひととなりと接して、力強さを感じたのも大きかった。職場は(つまりは駅の売店なんだけど)ひとりで売店に立って、発注やら雑務をこなすには自信の芯の強さがあって、その上で助け合ったり相談したりできるというところで。(離婚や未婚も含めて)シングルが多く、結婚しててもパートナーに尻を敷かれるような存在ではちっとも無くて。ブログの世界でもそんな姿を多く目にして。「ウチ」という一人称に込めた思いは力強さへの憧れ、という側面もあったはず。

そして、ブログと売店のふたつの環境に順応して、順調に日々を過ごしたのだけど、21になって始めた新幹線のバイトをすることで体力が持たず、メンタリティがダメになり、大学にも行かず、ブログの世界から遠ざかることにもなる。
2006年は黒歴史みたいななんにもプラスになってないような年で、家族にも多大な迷惑をかけて。

2007年になり、急がず焦らず回り道をしながら生きてゆこうと、7割方逃避のような結論にいたり。残された大学の約2年分の前に、何年ももやもやとしたままだった自分の進路を見つけようと決めた。もちろんタイムリミットがあって、悠長には出来ない。出来ないのに、自分のセクシャリティに悩んで、将来の職について進展させることが出来なかった・・・。

簡単に振り返ると、こんな流れだったと思います。うまく、まとめられないけど。
この年末年始、かるい自暴自棄になって、悲しいかな?そのおかげで、理想とする漠然としたのを、その輪郭を捉えるための作業?も、そろそろ結論が出てきたような気がしています。

それにしても、他にも並行して伏線があって、それが去年、ひとつの点で綺麗にとはいかないけど交わって、苦しめた。そんな感じかな・・・




(7日にちょっと補記しました)
2008.01.03 Thu l 中性的男子ができるまで l COM(1) TB(0) l top ▲